「迷い猫オーバーラン!」の迷走(10巻感想) その2



(「迷い猫オーバーラン!」の迷走(10巻感想) その1 はこちら

ぺこ氏降板に関する憶測



 なぜぺこ氏が降板と相成ったのか、部外者であるサイト管理人としては知る由もない。よしんば関係者であったとしても、いや関係者であればなおさら、その事情を公にすることなどできないであろう。


 かくして真実は闇に葬り去られることになる可能性が濃厚であるが、矢吹健太朗氏がジャンプスクエアで連載していた「迷い猫オーバーラン!」がほぼ同時期に連載終了となったことと関係していることは想像に難くない。言うまでもなくジャンプスクエアは、ライトノベル版「迷い猫」と同じ集英社が発刊する雑誌であるから、出版社サイドのロイヤリティの取り分が問題となったという話ではないはずである。


 とすると、キャラクターデザインによる権利保有者であるぺこ氏(またはぺこ氏の版権全般を管理するマネジメント会社があればその会社。まあ、ポケモンのようなお化けキャラクターであればともかく、日本でぺこ氏がそこまでしているとはとても考えがたいが。)と、矢吹健太朗氏(またはそのマネジメント会社。以下同じ。)との間のロイヤリティの取り分をめぐり争いが生じたと見るのが合理的である。



なぜ「迷い猫」で問題が発生したのか



しかし、ライトノベルのヒット作を漫画化するというのは、これまでもメディアミックス戦略の名のもとに、各社がとっていた常套策である。なぜ本作品でこれが問題になったのだろうか。


矢吹健太朗氏は、ジャンプ本誌で「ToLoveる!」を連載するなど人気作家であり、なかんずくその美少女に関する画力の高さで当代の漫画家の中でもトップクラスである。しかもその作風はお色気コメディであり、ジャンプスクエアのなかでも少年誌としてはかなり激しい露出を実現することで、特定業界の中では相当な高い人気を誇っている。その矢吹氏が同じ作風で「迷い猫オーバーラン!」を発表し、大盤振る舞いの露出を実現したのだから、これが特定業界で話題にならないわけがない。現に、たとえばこの特定業界の声を反映するメディアの一つである「秋葉原ブログ」では、矢吹氏版「迷い猫」が何度となく話題に取り上げられている。<秋葉原ブログエントリーより>


 「迷い猫オーバーラン!」のメディアミックス戦略は、そのような体制で臨んだ結果、ライトノベルの漫画化としては異例な収益構造が生まれた。1巻あたりベースでライトノベルの販売を漫画が追い抜いてしまったのである。
一説によると、ライトノベルの最新刊であった9巻と漫画の最新刊である2巻の販売数は、直近で以下の数字であったといわれている。

迷い猫オーバーラン!9」 29,045冊

  • 漫画版

迷い猫オーバーラン!2」 191,103冊
まさにケタ違いの売れ方、数値にして7倍弱の販売数である。


 漫画版は原作を比較的忠実にコミカライズしているから、漫画版の売上は、その多くが矢吹氏の画力によるところであると考えられてもおかしくない。実際、原作の漫画版はストーリーを原作で読んだ人が改めて漫画で楽しむために購入されることが多いといわれており、既に原作でストーリーが展開されてしまっている以上、漫画版の購入者はいわゆる「絵買い」が大半を占めると推察される。


 とはいえ、キャラクターデザインを決め、原作にイラストを掲載し、原作をアニメ化までもっていった功労者は矢吹氏でなくぺこ氏である。ぺこ氏から見ると、矢吹氏はその上に乗って二次創作で儲ける輩と見えてもおかしくない。漫画版の売上から一定のロイヤリティが支払われてしかるべきと考えるだろう。


 念のため解説すると、キャラクターデザインをした人が、キャラクターに関する売上から一定額をロイヤリティとして請求することができるかは、パブリシティ権の問題として議論がされることがある。物のパブリシティ権という切り口では、裁判所を含めこれを認めないという見解が優勢だが、著作権法上の複製権ないし翻案権の侵害可能性としてこの問題をとらえれば、キャラクターデザインをした人は、これを利用して経済的利益を得た人に対して一定の金銭的対価を請求することができる場合がある。少なくとも商業版の世界では、実務もそれを前提に動いているものと考えられる。


 なお、出版社は自らの収益確保を最優先してロイヤリティを決めるので、ペこ氏と矢吹氏、原作者の松智洋氏の漫画版からの取り分は3人で1冊あたり◯◯円ということになると考えられる。松智洋氏は原作者として特に利害対立がある存在ではないから(小説版であれ漫画版であれ原作者としてのロイヤリティが入ることになる。)、矢吹氏とぺこ氏の間で、今後矢吹氏が展開する漫画版「迷い猫」が、巻数を重ねるごとに売れ、かつ、漫画版を起点に関連商品や企画が出てきた際に、その収益の取り分をどうするかが問題になった可能性がある。


 この場合、もっとも穏便なのは漫画版の連載を終了させ、ぺこ氏がライトノベルで挿絵を書き続けるという道だったはずである。なぜ、キャラクターデザインを担当したぺこ氏まで連座して降板しなければならなかったのかは、外部から分かりにくいところである。両成敗での手打ちということか、ぺこ氏がモチベーションをなくしたか、真相は不明というほかないが、松智洋氏が奇しくも語っているように、メディアミックスをきっかけとして、ぺこ氏サイドがモチベーションを失い手を引くこととしたということかもしれない。


 いずれにせよ、18禁ノベルゲームの世界で絵買いで作品を買わせる実力者であるぺこ氏が、全年齢対象の作品のキャラクターデザインを手掛け、これを受けて全年齢対象の名うての漫画家である矢吹氏がお色気路線を全面に出した漫画を世に出した結果、絵買いにより原作以上に売上げを出して見せたというのは、皮肉というべきか、不思議な取り合わせであると感じる。2つの異なる業界にまたがる複雑で微妙な決まりごとの中で避けがたく陥穽にはまってしまったということなのかもしれない。


 エンタテインメント、コンテンツ業界のビジネスは、有体物に比べて扱いが難しい商材を幾重にも重ねて利用するものであるから、本来、権利義務関係の確定は事前に慎重に行っておく必要がある。しかしながら、業界慣行の名の下にこのあたりの処理が曖昧なまま案件が進み、思いがけないヒットとなったところで権利者が急に自らの利益を求めて騒ぎ出す、ということが起こりやすい。業界慣行が必ずしも同じではない複数の業界の人材を用いたメディアミックス戦略ともなると、なおさらである。ヒット作を利用した企画で、権利者の調整がつかずせっかくの収益機会を逃したという話は枚挙に暇がなく、今回のような話を耳にするに連れ、なかなか学ばない業界であるなあと感じるとともに、コンテンツできちんと稼ぎたいと本気で思うのであれば、法務費用をもう少しケチらずに使うべきだとも思う。


「迷い猫オーバーラン!」の迷走 その3 につづく