アルテミスブルー ハルの物語 その1



(注)アルテミスブルーの感想を連載しています。感想のスタンスについては「アルテミスブルー感想その1」をご参照ください。


人生において、わたしたちがまず学ばなければならないのは、「いかに生きるか」である。人はみな、なんとか長生きしたいと気を使うくせに、どうしたらよく生きられるかとなると、さっぱり努力しない。
――サミュエル・ジョンソン


「アルテミスブルー」は、これをプレイすればすぐ分かるとおり、「ハルの成長譚」をメインテーマとし、「桂馬の過去からの訣別」をサブテーマとする2層構造をとっている。


幼い頃からの夢だったパイロットとなるべく、高校卒業後すぐに渡米し、サンディエゴの航空学校を卒業して久保航空運輸の面接に向かうハルの姿から物語は始まる。


「賄い担当に最適」というあまりうれしくない理由で無事に久保航空運輸にコ・パイロットとして採用されたハルであったが、新人ハルの久保航空への参画が、イカロス計画の挫折から時間が止まっていた桂馬、リドレーと亜希子の3人組の時計の針をふたたび動かす原動力となっていく。


ハルは空想の中に理想の友達を作り出し、これに日がな話しかけるような夢見がち、もっといえば妄想力たくましい少女である。自分が周りの中でどのような立ち位置にあるかをわきまえず、ひたすらパイロットになるという夢を追いかけて生きてきた。アルテミスにより蓋をされた空を飛ぶという、年間事故率20%にのぼる危険極まりない職業に就くということ、それが親を含めた周りの人々をどれだけ心配させるかに十分思いが至らない。
大変化以前の大空を翔る多くの名画を見て空への憧れを膨らませ、その高校生活も男女の付き合いなどから縁遠かったこともうなずける。


そんな猪突猛進型の夢見がちな熱血少女であるハルは、まさに子どもそのものといえる。


そんなハルに大変化以降の時代の航空産業に携わることの現実を最初に見せつけたのが、重い心臓病を患い、移植のために関西まで飛ぶ途中にPDに逢い、ペリカン見学の夢かなわず命を落とした少年・日下部拓哉であった。


彼女は拓哉の死を前に、パイロットとは自分が死ぬかどうかということにとどまらず、生き延びたときも、数え切れない人の死を翼の上に乗せて、なおも飛び続けなければならない宿命にあることを思い知る。と同時に、アルテミスの女神に蓋をされたこの「ふざけた空」に対する怒りが沸々と湧き上がったハルは、女神に対して勝負の宣告をすべく、咆哮するのであった。


アリソンが父親である桂馬をたずねて江戸湾ズに訪れたときのハルもまた、持ち前の子どもぶり、よく言えば思いやりあふれる純真さを遺憾なく発揮する。桂馬が父親でないことが判明したため日本に在留する理由がなくなり、誰にも迷惑をかけないようにと運命に身を委ねるアリソンに対して、自活することができるだけの経済力がないハルがしてあげられることは、拓哉のときと同様、何もない。けれども、そんなハルの純粋さや人を思う温かな心は、裏切られ心に傷を負い、8年前から時計の針が止まったままの桂馬の心を動かした。真に必要とされているときに手を差し伸べる、そんな当たり前なことができなくなってしまっていたことをハルによって気づかされた久保航空の大人たちは、ハルという少女が自分たちのいつ終わるともしれない停滞の時代に終止符を打つ希望の一灯であるかのように感じ始めるのであった。


少女ハルが一人前の大人になるためにまず最初に達成しなければならなかったことは、家族なかんずく父親、浩一郎との自身の進路をめぐる和解であった。これには多分に父親の子離れという要素を伴うものであったが、親の理解を得るための努力が十分だったか、ハルにもまた問われるところがあったはずだ。


ここでハルの力になってくれたのが“スコシタイガー”ことドナルド・クーパーである。このスコシタイガーと浩一郎とのハルをめぐるやりとりは、公務員として手堅く安全な人生をモットーとする小市民・浩一郎と、アルテミスに蓋をされた危険な空を自らの居場所とするハルを含む江戸湾ズの住人の人生観(=いかに生きるか)についての考え方のギャップを鮮やかに示していて興味深い。


ドナルド「格好いい奴は自分から動く人間だ!
     他人から何と言われようと、笑われようと、
     自らの信念に基づいて後悔のない人生を送る奴だ!
     たとえそれが茨の道でもな!
     だからそういう人間の人生には浪漫があるんだ。
     男も女も、格好いい奴の人生には浪漫があるんだ!
     スプリングガールは充分格好いい人生を送っているぜ!」



浩一郎 「わたしの人生は格好悪いですか…
     …そうですよねぇ、ただの公務員ですものねぇ
     …娘は大空を目指すパイロットですものねぇ」



ドナルド「パイロットとか公務員とか、そんなの関係ねぇ!
     もうすでに別の道を歩き出している娘に、
     自分の人生を乗っけようとしているから、
     お前は格好悪いんだ!
     いつまでも娘に依存してんじゃねえ!」


ハルはまだ大人になりきれていない子どもだが、「いかに生きるか」についてドナルドや桂馬、亜希子やリドレーといった江戸湾ズの住人と同じ心意気を持っていることが、スコシタイガーにより明示的に示される。ハルが桂馬の心を動かし、亜希子やリドレーがハルに希望の光を見る理由、そしてハルが知らぬうちに亜希子やリドレー、そして真面目で潔癖な自分と正反対のキャラクターの持ち主と思われた桂馬に惹かれていく理由はここにある。現実はどうあれ夢を追いかける、夢のためならば危険や損得勘定など全く気にしない、そうした「浪漫」をハルは他の江戸湾ズの住人たちと共有しているのである。


ハルが安全確実を何より尊ぶ公務員家庭にあってこうした浪漫を抱くようになった理由は、古今東西の名作映画の影響に他ならない。そして映画をこよなく愛するきっかけとなったのが父、浩一郎の映画好きという趣味にあるというのがまた面白い。


浩一郎も、日々変わり映えのしない公務員生活を送りながら、映画を通じて浪漫を仮想体験していたのだ。そして、「あれは現実ではない、映画の中の出来事なのだ」と、大人らしく自らの立ち位置を受け入れて生きてきた、そんな悲しくもまっとうな大人の姿、それがハルの父・浩一郎が象徴する大人の現実像である。


浩一郎は、ドナルドに一喝された後日、ドナルドはまるで映画の主人公のような人だと嬉しげに評しているが、こうした発言はまさに、浩一郎の浪漫への素直なあこがれを感じさせる。


 (アルテミスブルー感想その3「ハルの物語2」に続く)