穢翼のユースティア〜葉月社の覚醒?〜

『穢翼のユースティア』は2011年4月28日発売予定です。




 慶應大卒業生を中心に設立された東中野のゲーム会社、株式会社葉月(「当社」)がオーガストブランドで発売する『穢翼のユースティア』(2011年5月27日発売)をプレイした。


 このブランドでは、2005年に発売された『夜明け前より瑠璃色な』をプレイしたところ存外に面白く、その前作『月は東に日は西に』を購入しプレイしたところ世評に反して全く面白くなくギブ・アップした、という個人的な来歴を持つ。



 なお、その後に発売された『FORTUNE ARTERIAL』はゲームをスルーし、アニメのみ見た。アニメを見たのは、言うまでもなく、もはや伝説となった『夜明け前より瑠璃色な』のキャベツアニメの苦難を経て、当社がゲームのアニメ化についていかに学んだかを確認するためである。


 当社の経理データは公表されておらず不明だが、世評や秋葉原コミックマーケットその他のイベントにおける露出規模等から考えて、オーガストブランドは、今やこのノベルゲーム業界における雄としての地位を確立したものと見て良いように思われる。



 こうしたバックグラウンドを持つ当社の最新作であるため、発売前からのマーケティングは相当の費用をかけて周到に行われていたことは承知していたが、余暇を使用してプレイするに値するほどの価値がある作品かどうかは、慎重に見極めてから決定すると決めていた。



 そもそも、マーケティングばかり派手にやって予約で粗方の投資回収を確保し、プレイしてみるとたいして中身のないシナリオというゲームが蔓延する世界なので、事前のマーケティングはあてにしない、むしろあまり派手なマーケティングのゲームは眉にツバをつけてかかるくらいがちょうどよいとの考えによる。



穢翼のユースティア』はここがすごい!



 さて、この『穢翼のユースティア』であるが、投資回収とアップサイドの実現というコンテンツビジネスの基本戦略から見ると、当社の事業モデルの特性をしっかりと踏まえ、そこから逆算して作り込んだのではないかと感じさせるものがあるので、それをここに指摘しておきたい。


 もちろん、当社のスタッフがそのように考えたのかどうかは知る由もないが、少なくとも、そのくらい出来が良い、当社の事業モデルを前提とした場合の一つの到達点として位置づけて良い作品ではないかと考えられるのである。




 このサイトの管理人は、ノベルゲームについて、


1.シナリオは、ゲーム会社が限られた時間とリソース(これにはシナリオライターや監修者の力量が含まれる。)の中で作るものであり、ゲーム会社のこれらのリソースや与えられた時間はその会社の所与の条件である。したがって、これを批評しても詮ないし、生産的ではない。
むしろ、限られたリソースの配分の仕方や、配分がゲーム会社がもともと狙っていたユーザエクスペリエンスや事業展開につながっているかどうかを検討するのが生産的である。


2.ゲーム会社は、コンテンツの提供を業とする以上、固定費とゲーム制作費、そしてマーケティング宣伝広告費を、コンテンツの提供を通じてどのように回収するかが重要である。すなわち、コンテンツのライフサイクル全体を見据えて、作品の作り込みをすることが求められる。


と考えている。


 今回は、こうした観点から、本作品について考えてみたい。言うまでもないが、この記事は、本作品をプレイ済みの人(又は本作品をプレイしないことを決めている人)を対象に書かれており、一部にネタをばらす要素があることにご留意いただきたい。



シナリオの構成について



 『穢翼のユースティア』のシナリオ構成は、グランドルートというべきティアのルートを太い幹として、フィオネルート、エリスルート、コレットルート(ラヴィリアルート)、リシアルートが、それぞれこの順に、幹のシナリオから派生した形で展開される。それぞれの派生ルートは、極めて短く、個別ルートを楽しむという仕様になっていない。


 近年の事例では、有限会社AKABEiSOFT2の『G線上の魔王』で採用された構成といえばわかりやすいだろう。


 この構成について、世評では様々に言われているようである。曰く、好きなキャラの個別ルートをもっと深めよ、単なる一本道シナリオである云々。。。


 しかし、こうしたコメントはいずれも的はずれである。


 第一に、幹を作ってその他のルートは枝葉とする方法は、限られたリソースの中シナリオ全体の質を高めるために極めて有益である。すべてのルートについて、それぞれ個別のストーリーを展開させると、ストーリーにむらがでてくるし、全体を矛盾のないシナリオとすることが難しい。


 そうした点をカバーするように作品を作ろうとすると、どうしてもリソースが分散し、その結果、作品としての質が落ちてしまう。


 それを回避するためには、枝葉シナリオは思い切って剪定し、あっさりと作り込むのが正解である。


 なお、シナリオ陣としては、それぞれのシナリオをふくらませてなにか作ることはできたはずだ。現に、Appendixとしてサブシナリオが存在し、これを適当につなげればもっと尺を稼ぐことは簡単だ。


 それをしなかったのは、そのようにすることで作品がだれること、矛盾の調整のためにメインシナリオに細かい改変を加えなければならない事態を回避すること、に理由を求めることができるだろう。


 なお、このような構成を取ることによる、個別ルートの薄さという批判に対しては、まさに豊富なAppendixがこれに応えている。


 個別ルートでヒロインとイチャイチャしたいユーザはAppendixでも見てろ、といわんばかりのこの割り切り、極力広いユーザ層を掴むことと効率的な作品制作を両立させる、立派な企業姿勢だと思う。



 第二に、骨太の幹シナリオを作っておくことが、今後のアニメ、コミック等の他メディア展開を容易にする。


 なんのことはない学園モノであれば、たとえば『アマガミ』のように、マルチエンディングという構成をとっても一応アニメシナリオとして形にはなるだろう。また、薄いシナリオなら『ヨスガノソラ』のようなことも不可能ではない。


 しかし、しっかりとしたアニメを作り、これをソフトウェアで回収するとなれば、やはりしっかりしたシナリオがあったほうが断然やりやすい。


 ちなみに、アニメは、『FORTUNE ARTERIAL』では製作委員会方式を採用しており、その出資者として当社は名を連ねていないので、当社はシナリオを提供し、DVD等からのアップサイドはあくまで版権収入のみという仕切りだったと考えられる。そのような関与形態であったとしても、シナリオの出来・不出来、そして多メディア化のしやすさは、やはりシナリオの構成がどうなっているかによってくることにはかわりない以上、原作者としての当社は、ゲーム段階で、多メディア化しやすいシナリオとしておくことが最適戦略なのだ。




事業展開について



 本作品の投資回収は、基本的にはこれまでと同様、通常版販売、全年齢版(暴力シーンがあるためR指定はつくだろうが)販売をタイミングよく仕掛けつつ、アニメ化、コミカライズ又はノベライズによる版権収入、イベントでの効率販売によってはかっていくのだろう。


 ただ、ここまでよくできたシナリオである。もう一段の収益化が図られてもおかしくない。


 本作品の今後の展開として、『FORTUNE ARTERIAL』で見られなかったどのような展開があるか、その行方をウォッチすることも、本作品の楽しみ方の一つだろう。




シナリオへの短感



 

本作品で最も秀逸だったのは、間違いなく牢獄の武装蜂起シーンである。このシーンが物語全体の中で極めて自然に、説得性を持って織り込まれていることに、シナリオライターの実力を感じた。



 ティアの救出に至るまでのカイムの心の動きについては、ずいぶん批判があるようだ。


 ここは結論(世界を敵に回してもティアを助ける)が見えている中で、むしろ周囲の人間(ジーク、コレット、リシア、フィオネ、ルキウス、そしておそらくシスティナやガオさえも)が、ノーヴァス・アイテルがまさに落ちようとしている今、「○○のため」などといった安っぽい大義によって自分の行動を正当化することを放棄して、自らのレゾン・デートル(作品中の言葉では「生まれてきた意味」)をかけてむき出しの自分のまま決戦を挑みあう混沌をこそ、シナリオライターは描きたかったのだと解釈したい。


 そうしてはじめて、表面的にはティアの心からの希望に反したものであったカイムの行動の真の意味が僕らに伝わるだろうし、これに対するティアの行動が、僕らの心のなかに温かい何かとなって、僕らの生活を少しばかり豊かにしてくれると思うからだ。